春風亭柳橋 (7代目)
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七代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1935年8月12日 |
没年月日 | 2004年10月31日(69歳没) |
出身地 | 日本・東京都 |
死没地 | 日本・東京都千代田区 |
師匠 | 三代目桂三木助 六代目春風亭柳橋 |
名跡 | 1. 桂木久夫 (1952年 - 1956年) 2. 桂木久助 (1956年 - 1959年) 3. 二代目春風亭愛橋 (1959年 - 1964年) 4. 九代目春風亭柏枝 (1964年 - 1982年) 5. 七代目春風亭柳橋 (1982年 - 2004年) |
出囃子 | せり |
活動期間 | 1952年 - 2004年 |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
公式サイト | 春風亭柳橋 |
受賞歴 | |
文化庁芸術祭優秀賞(1974年) | |
備考 | |
落語芸術協会副会長(2004年) | |
七代目 春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、1935年8月12日 - 2004年10月31日[1])は落語芸術協会に所属した落語家。本名∶駒木根 正男。東京都出身。出囃子は『せり』。
来歴
[編集]1952年4月、三代目桂三木助に入門。前座名:桂木久夫。1956年4月、二ツ目に昇進し桂木久助に改名。1959年4月、師匠の三木助が日本芸術協会(現:落語芸術協会)脱会時に、定席に出続けるため(三木助は落語協会に移るのに冷却期間を置くために、一時期フリーランスとなった)、1959年6月、大師匠六代目春風亭柳橋門下へ移り、春風亭愛橋と改名。1964年4月に真打に昇進し、春風亭柏枝となる。1982年、七代目春風亭柳橋襲名。
1974年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。落語芸術協会副会長を務めた。
2004年10月31日、消化管間葉系腫瘍のため東京都千代田区の病院で死去[1]。69歳没。
人物
[編集]病と闘いながら高座に上がっており、生涯で経験した手術は8度におよぶ。三代目三遊亭遊三からは「柳橋さん、そんなに切ったり縫ったりするの大変だから、いっそお腹のところチャックにしたらどうですか」と言われたという。[要出典]
得意ネタ
[編集]三代目桂三木助譲りの「三井の大黒」などがある。
芸歴
[編集]- 1952年4月 - 三代目桂三木助に入門、前座名「木久夫」。
- 1956年4月 - 二ツ目昇進、「木久助」に改名。
- 1959年6月、六代目春風亭柳橋門下へ移り、「愛橋」と改名。
- 1964年4月 - 真打昇進、「柏枝」を名乗る。
- 1982年 - 「七代目春風亭柳橋」を襲名。
弟子
[編集]元弟子
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “春風亭柳橋氏死去/落語家、落語芸術協会副会長”. 四国新聞社 (2004年10月31日). 2020年8月16日閲覧。
関連書籍
[編集]- 鈴木直 編『七代目春風亭柳橋―至福の古典落語』(2006年10月、青蛙房)
- 鈴木直 編『七代目春風亭柳橋 お直し』(2008年9月、青蛙房)